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2016年10月29日 (土)

夜明けの街で

ある日の早朝午前4時前に電話が鳴って、眠い目を擦りながら往診出動。
夜明け前のまだ真っ暗な時間帯です。
 
癌の終末期で 最後の時間を家で過ごしたい、との希望で
退院して自宅療養されていた男性患者さん。
奥さんが懸命の介護を続けておられたのですが
その日、最後の呼吸をして旅立たれました。
 
当院から診療だけでなく訪問看護にも毎日伺っていたので
逐一様子は聞いていて、残された時間が短いことも既にお伝えしてあり、
最後の時間を夫婦一緒に過ごされていたのでした。
前の日には遠くから親族も面会に来られていたとか。
 
患者さん宅に着くと、その日の当番のナース・ヨーコが先に到着していて、
奥さんといろいろ話をしていました。
死亡確認のあと診断書を書いている間、奥さんが思い出すようにヨーコに話しかけます。
 
その昔、奥さんと知り合う前に御主人が全国放浪の旅に出ていたこと、
あちこち滞在した中では 仙台が一番良かった、と言っていたこと、
御主人が若かった頃は ケンカっ早くて困ったこと、
36年間ずっと連れ添ってきたこと、
17歳の年の差カップルだったので一緒に出かけるとたいてい親子と間違えられて
そのたびいつも(自分が)怒っていたこと、
自分が死んだら、次男の自分が
生まれ故郷の岐阜の代々の墓に入れるのだろうかと言っていたこと、
かと思えば 樹木葬のパンフレットを大事にとってあって 
これにしてくれと言う意味なんだろうか、
どっちにしたらいいんでしょう・・・迷うなぁ・・・・
 
旅立たれた御主人の前で、昔のことを思い出して話したり、
はたまた 迷いの気持ちなどを 話したりされるのを横で聞いていて、
死亡診断書を書き終えたあともしばらく留まってお話しを聞くことにしました。
 
覚悟されていたとはいえ 御主人が亡くなって
悲しみに暮れる奥さんに我々がしてあげられることは、
今ここに留まって 話を聞いてあげること、
そのチャンスは今を置いて他にはない、貴重な時間だと感じました。
死亡診断書を書くだけであれば20分も滞在すれば十分だったのかもしれませんが
結局1時間近くいろいろな話に花を咲かせました。
 
亡くなられた御主人の前で、泣いたり笑ったりしながら話す奥さんの声が
何よりの供養になるような気がしました。
グリーフ・ケアのことがよく言われますが
患者さんが亡くなった後、遺族のためにこの時期にこんなグリーフケアをしなきゃ・・・
みたいな 何だかいかにも”してあげる”的な定型的グリーフケアになって
される家族の側にそれが伝わってしまうと
心理的に負担になるのではないかと思ったりします。
患者さんが亡くなった後も 残された家族の方が、
患者さんとの思い出をいろいろ話したりするなかで
一緒に過ごせた時間のことを思い出して 
泣いたり笑ったりしながら気持ちが少しずつ整理されて、
明日からまた頑張っていこう、と思える“心の支え”を強くする、
そんなささやかな援助ができたらいいと思います。
結果的にそれをグリーフケアと言うならそれでもいいです。
 
奥さんが玄関先まで出てきて深々と頭を下げて見送って下さる中を、帰途につきました。
クリニックへ寄ったあと、夜から朝へとだんだん明るくなってくる中を車で走るみちすがら、
前日、訪問看護から帰ってきたナース・ヨーコが教えてくれた 
奥さんの書いたメモ書きのことを思い出していました。
 
訪問看護にいったとき
「いろんな思いが溢れてくる、その言葉を書き出してみたんです」といって
書いたものを見せてくれたというのです。
もらって帰ったというその紙は薬局からもらったと思われる調剤明細。
その裏に、御主人の傍に付き添いながら書かれた言葉が並んでいました
**********************************
10月7日 AM 0:30

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何も食べなくなりました
もうすぐですか
さよならですか
いやです このままでいいから生きていてほしい
さよならはいやや
もっと生きてほしい だめなんですか
私 もっとがんばりますから おねがいです
先生おねがいします
きのう 初めて言ってくれたんです
出ない声で 「あいしているよ、愛しているよ」って
言ってくれたん
私も「愛しているよ」って言った うれしかった
でも「ごめんなさい、ごめんなさい」って
私は、ごはんも何も食べないから、
言ってはいけないことを言ってしまいました
何で言ってしまったのか、どうしたらいいのかわからない
言ってはあかんと思っていたのに
もっと生きてほしいから、
今は後悔している
どうしたらいいか わからない
************************************
 
言ってはいけないことを言ってしまった・・・としきりに言われていたので
気になって奥さんに聞いたら、
御主人が 「しんどいからもう何も(食事は)欲しくない・・・ 」と言ったとき、
「しんどいのはあんただけじゃない、私だってしんどいのは同じなんだから
だから頑張って食べて!」
そう言ってしまったことを後悔されていたのでした。
 
最期に向かって身体が準備しているので、次第に飲んだり食べたりができなくなってきます
事前に奥さんにそんなお話しをしてあったとしても
気持ちとしてはやっぱり頑張って欲しい・・・
大事な家族を失いつつある御家族の気持ちは
それを言葉に表すことができるかできないかの違いはあれど、
きっと皆さん、こうなんだろうなと思います。
 
早朝午前6時前の東の空が白んでくる頃、
車の窓を開けて澄んだ初秋の空気を感じながら
人通りのない夜明けの街に車を走らせる・・・
在宅医には そんな1日の始まりの時間があったりします。

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2016年2月29日 (月)

 RSK地域スペシャル 「メッセージ」 のあと

2月17日(水曜)の RSKテレビ 「メッセージ」は 多くの方が見ておられて、

お会いする方々から感想などを伺うことがありました。

 
一般に TV取材は編集者のシナリオ通りに編集されて
思っていたのと違う形で流れる事が多い、と よく聞いていたのですが、
取材に来られていた放送記者の方と 何度も意見交換をさせていただいたお陰もあって
在宅医療の雰囲気とでもいうのでしょうか、良さが十分に伝えられる内容になっていたと思います。
 今回の取材のためにまわしたVTRカメラの総時間がなんと50時間にも及んでいたと後に伺いましたが、その膨大な量のフィルムをうまく1時間に編集して うまくメッセージとして伝える、その技術に さすがプロの仕事をみました。
 
番組に出ていた患者さん(Nさん)との関わりの中で、当院スタッフもいろんな感想をもっていました。
 
「診療同行や訪問看護に伺っていて、自分がどんな話をしてたかな、なんて忘れていた時もあったけれど TVを見ていて、ケアマネジャーさんがNさんに『一番充実していた時はいつ?』と尋ねて、それが お花の師範の免許をとって、生徒さんに教えるようになったとき、とわかってから、訪問の時にわざわざお花を持って行ってあげて 一番いい笑顔を引き出してあげられていた・・・ その姿勢を尊敬しますね。
 最近 地元で祖父が亡くなったのですが、自分にとっては強かったおじいちゃんの面影がそのまま残っていても、多分 病院の医療従事者には誤嚥を繰り返して肺炎になって弱った老人にしか見えないだろうな、と思って・・・
 立場は違うかも知れないけれど、在宅で過ごす患者さん達に、どうやったら 少しでも充実した時間を過ごして貰えるか、日々仕事の中で考えたいと思います」
 
 
「Nさんが亡くなったときの御家族の悲しそうな表情が、少し落ち着かれて エンゼルケアを一緒にされているとき、ふゎっと穏やかになった、その変化がすごく良く現れていて、いい瞬間をとらえて撮られているなぁと思いました。
 
 在宅では 患者さんが亡くなったときの御家族の様子をみていて、悲しいけれどもあんなふうにしっかり受け止めて静かに穏やかに過ごされたり、時には笑ったり・・・ そんな様子を見ていると、この仕事、大変な時もあるけれどやってて良かったなぁと思うんです。
やっぱり病院ではあの変化を見ることはできないですよ」
 
 
「ケアマネジャーのYさんに会ったとき話していたら、『番組を見た知人のケアマネジャーさんが、(番組を見て)ケアマネにもいろいろできることがあるなぁと思ったから、もうちょっと仕事続けて頑張ってみる、と言ってくれた、そう言ってもらえたのが一番嬉しかった』と言われていましたよ」
 
以上は 当院の看護師スタッフ達の言葉でした。
 
ほんと、Yさんの関わりは実はすごいと私も思っていました。
自分がお花を持って行って、「Nさんに生けさせてあげたら良かったかもしれないのに
私が勝手に生けてました」と笑って話されていましたが、どうしてどうして。
自分で楽しみながらNさんに “してもらっている申し訳ない感”を少しも感じさせることなく、そのじつ、自らがお花の生徒さん役になって、しっかりNさんに先生役をやってもらうことによって、お花の先生という役割の中で一番生き生きした表情を引き出してあげている・・・・
 
めぐみ在宅クリニックの 小澤竹俊先生のいわれる、「ライフ・レビューの中から (心の)“支えを強くする” 」 という、まさにその実践をされていると思います。
                                         by ももたろ

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2014年12月11日 (木)

氷の世界

頭頚部の悪性腫瘍のため在宅療養中の60歳代の男性患者さんのところへ

訪問看護に行ってきたナースかをりんが、みんなに今日の様子を話してくれます。

だいぶ意識レベルが下がってきてウトウト寝ている時間が長くなってこられていた頃でした。

奥さんから、「呼びかけて声が聞こえているんでしょうか?」と聞かれたので

「たぶん聞こえていると思いますよ・・・以前、患者さんの意識がだんだん薄れてきてからも、

部屋でずっと大好きだったビートルズの曲をかけてあげていた御家族もありましたよ」という話をしたのだとか。

そしたら奥さんが一緒にいた娘さん達と、それじゃあ 大好きだった井上陽水をかけようか、という話になって、

・・・でも 「「傘がない」は暗くなるからやっぱりやめよう、とか、

女性ばかりでベッドを囲んで、いろいろとワイワイ賑やかに話をされていましたよー♪。

陽水が大好きで、そのほかにも高橋真梨子とか五輪真弓みたいな、歌のうまい歌手の曲が好きでよく聴いていたのだそうです。

これまで一家の柱として頑張ってこられたサラリーマン人生、そして休日には

奥さんと娘さん達の女ばかりの中で、ひとり陽水を聴いていた・・・なんて姿が想像されます。

 

勤務医の頃には 同じような病衣を着て 病室のベッドに同じように寝ている、

同じような ”病気の患者さん” しか見えていなかったような気がします。

患者さんの持つ”病気”を診ていたのでしょう。

ところが患者さんの家にこちらから訪れると、家族との生活やこれまで歩んでこられた人生、家族の歴史・・・

そういったものが否応なしに見えてきます。

次女さんが、ひっきりなしに顔を触ったり手をなでたり・・・ 

 「もうオモチャのようにしてしょっちゅう主人の顔を触るんですよ」と奥さんが嬉しそうに言われます。

いいじゃないですか。 そんなことができるのも、家族だからこそ。

患者さん本人には声を出すだけの力はもはや残っていないけれど、言われることはわかっておられるようです。

全身状態が悪くなっても聴覚は最期まで保たれることが多いと言われていますが、その通りだなぁと感じることが何度もあります。

「お父さん、笑って!」という娘さんの声には反応されて、表情がすこしニッコリ笑ったようにシワが寄ります。

やっぱり聞き慣れた家族の声の力はすごいと思います。

先のことを考えて時に涙されることもありますが、御家族そろって明るく最期の時間を一緒に過ごされている様子に、

医師も看護師も皆、少しでも良い時間を持ってもらえるために役にたてれば、との思いで訪問しています。

こんなふうに家族そろって最期の時間を過ごせるのも、家だからこそ、でしょう。

通院が難しい患者さんが自宅で安心して過ごせるように、そして

たとえ治らない病気であっても、

自宅で家族に囲まれて、あるいは施設など望みの環境で、少しでも良い時間を過ごしてほしい・・・

患者さんが満足して過ごすことができ、家族も精一杯のことをしてあげられたという充実感をもって、

いつまでも心の中に思い出を刻んでほしい・・・

私達の在宅医療へのこだわりはそこにあります。

思わず、古いやつ引っ張り出して聴いてしまいました♪。 

季節柄は「氷の世界」ですが、気分的には やっぱ 「人生が2度あれば」 が響きます。

                                           ももたろ

2014年11月10日 (月)

ささやかな心遣い、看護のチカラ

治らない病気で 病院から家に帰ってきて療養され、痛みのほか様々な症状をコントロールしながら最後まで自宅で過ごされる患者さんもたくさんおられます。
 
6時前に電話連絡を受けて、日曜の早朝から患者さんの死亡確認に行ってきました。
入院中から とにかく入院していること自体がストレスで、
早く帰りたくて仕方がなかった80歳代半ばの女性患者さん。
尊厳死協会にも加盟されて 最後は延命処置は要らない、と はっきりとリビング・ウィルを残されていることも聞いていました。
娘さんがずっと介護を頑張られました。
2日前には 夜寝るときに、娘さんとお孫さんが両脇に寝ていたと聞きました。
親子孫の3世代で川の字になって寝るなんて、やっぱり家だからできること・・・ですね。
 
亡くなられたとき、側頭部の髪が左右 綺麗に小さく三つ編みにしてあるのを発見。
「可愛いく三つ編みにされてますね♪」と娘さんに言うと、
「訪問看護のときに、洗髪したあとでしてくれたんです。本人も喜んでました・・・」とのこと。
 
当院から訪問看護に行っていたのですが、人一倍 人見知りされる患者さんだったので
どうかなー と言いながら初回訪問にナース・ヨーコが訪問看護に伺いました。
さすがは訪問看護のベテラン、心の通った看護ができたのでしょう、
クリニックに帰ってきて、「本人さんから 手で “マル” (^_^)v のOKサインが出た!」 と
みんなに嬉しそうに話していたことを思い出しました。 happy01 
洗髪したついでにかわいく髪を結わえてあげるなんて、とても私には思いつきません。
80代であっても女性であることを意識させてあげられる、そんな看護の力に脱帽です。

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洗髪のための道具を洗ってメンテナンス sun
 

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2014年4月20日 (日)

幸福な人生とは

山陽新聞夕刊コラム「1日1題」への連載、1月30日の最終回の内容です。

在宅療養される患者さん・御家族と 本当に沢山の出会いがあります。
いろんな家族関係があり、人生があり、歴史があり・・・・・
人生の先輩である患者さんから学ぶことも数多くあります。
治らない病気や老衰で人生最期の時期の診療に関わることも多いのですが
その中で、本当によい家族関係の中で 御家族に見守られて幸せな時間を過ごす方もあります。
中には最初から良い関係でなかったところ、療養や介護を通して次第に良い方向へと関係が変わり 幸せな最期の時間を過ごす方もあります。
今回はそんなお話です。
 

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チエさんは男勝りの勝ち気な性格が災いしてか、それまで嫁とは長い間のわだかまりがあったようだった。
癌で在宅療養した最後の2ヶ月を嫁が看ることになったが、普段から人に弱いところを見せないチエさんは初めは何でも拒否していた。
嫁も半ば諦めの気持ちで始めた介護だった。
診療に行くたび嫁の懸命さが感じられた。そして少しずつ嫁を信頼して介護を受け入れるようになってからのチエさんはとても穏やかな人に変わり、訪れる友人や周りの全ての人に感謝して過ごしていたという。

「亡くなる1週間ほど前、あるとき義母が私にすがって“ありがとうね”と声が枯れるまで何度も何度も言ってくれたんです。これまでいろいろあったことが全部水に流せました。ずっと介護から逃げてきたけれどもっと早く関わればよかった。最後に本当に良い時間を持つことができました。」 
嫁との心のつながりもできて、チエさんは幸福な人生の最後の時期を過ごされたと思う。

「幸福な看取り」というが最後の瞬間だけ幸福というのはあり得ない。
それまでの時間、人生の最後の一時期をどう過ごせれば幸福なのか。
幸福とは山のあなたの空遠くにあって探しに行ったり外から与えられたりする物ではなく心の状態であるならば、物やお金があるから幸福とは限らない。

在宅療養や介護という目的や共同作業を通じて、それまでの家族との関係性が変化したり地域社会とのつながりが再確認されたりすることで、幸福な時間を過ごす患者さんに出会う。
高齢者や病者の幸福を考えるヒントは在宅医療の中にあるような気がしている。

2014年3月30日 (日)

夜の出動

29日は医師ばかりの集まりの会があって

夜は田町界隈に出動 !? していました。
飲み会といっても、ここ数年は たいてい いつも車で出動できるように
ノンアルコール・ビールくらいしか口にできないことも多いのですが
この日もそうでした。
夜の9時半も過ぎた頃、待機当番のナースなかちゃんからの電話が・・・
独居のKさんから電話があって、尿の管(バルン・カテーテル)から真っ赤な尿が出ているというので行ってきまぁーす♪  
 
・・・別にルンルンで出かけたわけではないと思いますが、夜でも患者さんのためにフットワーク軽く出かけてくれるももたろうナース達には、患者さんいつも安心してくれて喜ばれます。 (私も助かってます) 
 
 Kさんは当院からの訪問看護で、定期的に伺っている患者さんです。
ひとくちに「血尿」といっても、
患者さん御家族からの電話や他のステーションのナースからの報告では
オムツが薄いオレンジ色っぽい状態からかなりの濃い血尿までいろいろあって
状態を類推するためにいろいろ聞き出さなければならず苦労することも多いのですが
百聞は一見に如かず!といつも言っているので 
ナースなかちゃんは 写メールで状態報告してくれました。

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「・・・バルンのルート内血尿で、700 ml流出。バルン抜けかけている感じはないですが、バルン抜くと真っ赤な血尿が付着。新しいバルン挿入しても血尿ありました・・・」
とメール報告文あり、添付された写真を見ると、ありゃりゃ・・・
色が薄い状態なら、私が行かずとも
訪問看護での管の入れ替えだけでそのまま様子をみてもらうこともできたのですが
こんなに血液が濃かったらこりゃいかんわ・・・
というわけで 飲み会を抜けて患者さん宅に向かって合流したのでした。
車椅子生活なので、たぶん知らないうちに車輪に尿バッグを引っかけたか何かで、
カテーテルを引っ張ってしまって、血尿になってしまったのでしょう。
膀胱洗浄を何度か繰り返して行ってみると すっかり色が薄くなり、
止血剤の点滴でなんとかおさまってきて、事なきを得ました。
翌日朝に看護師で電話チェックをいれて様子を聞いた時も、以後はきれいな尿が出ているということでした。
 
Kさんが 「夜遅ぅに、ほんとにわりぃなぁ・・・ありがとう・・・」と何度も言われ、
安心した表情をされていたのをみて、
来てあげてよかった・・・と ナースなかちゃんも思ったに違いありません。

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【点滴や膀胱洗浄の処置を終えて、Kさんと語らうナースなかちゃん】
夜間休日の対応は本当に大変ですが、本当に困っているときに対応して貰えるというのは
患者さんや御家族にとっては 安心して在宅で過ごせる条件だと思うのです。
                                          ももたろ

2014年3月 9日 (日)

命の教育

山陽新聞夕刊コラム「1日1題」への連載、・・・全 8回中の第7回目の内容です。

これは 約1年前、2013年1月20日にこのブログに書いた話を書き直したものです。

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保さんが自宅で亡くなって往診したとき、奥さんが数日前の出来事を話してくれた。
「近所にいる
2人の小学生の孫娘がいつも喧嘩するたび“死ね”とか平気で言うんです。日頃からやめなさいと怒っても聞かないのでここへ連れてきて、あんたたち、死ね死ね言うとるけど人が死ぬのがどういうことか、おじいちゃんをよく見ておきなさい!といって叱ったんです。上の子は言われた事がわかったようでした。下の子もわかったとは言っていたけれど・・・うーん、どうかなぁ・・・」。
これは祖母にしか言えない言葉だ。

昔は老衰や治らない病を自宅で看取る介護力も経験も家族に備わっていたのだが、いつからか治療という名のもとに、患者と共に自宅を離れて病院に預けられてしまった。家族構成も次第に変化して、一家の中で人の死ぬ瞬間を見たことのある大人が減る一方で、死は日常の身近な出来事からテレビドラマの中でしか見ることのない観念的なものに変わった。子供達はゲームのキャラクターが死んだらリセットしてしまう。

患者さんが自宅で療養して最期を迎えた時、家族、時には孫達が訪問看護師と一緒に体を拭いたり着物に着替えさせてあげたりといった最後の孝行をしている光景を目にする。子供達は死という人間にとって不可避の現実を祖父母を通して知り、そこから命の大切さを学ぶはずである。子供達が皆このような体験をすれば命を軽視した社会問題もかなり減るだろう。懸命に体を拭いてあげている子供達の姿をみるたび「あなたの最後の教育、伝わっていますよ」と御遺体に語りかけたくなる。

2014年2月10日 (月)

「じょぼれー」に感謝

山陽新聞 夕刊に 1月末まで 毎週木曜にコラムを担当していました。
遅ればせながら少しずつこのブログでも紹介しています。
高齢で独居の患者さんの所へ訪問診療に赴くことが少しずつ増えてきています。
皆さん、いつも診療の日を心待ちにしてくださっています。
日頃家に来る人もあまりいないからか、日常のことなどいろいろよく話される方も多く、
時間のあるときはゆっくり聞いてあげる・・・それも我々の役目かなと思ったりします。
ボジョレならぬ、じょぼれー の話は12月21日にも少し書きましたが、
今一度、この話を少し詳しく書きました。

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「生きとっても何の役にも立たんし、いいことがない・・・早くお迎えが来ないかなぁ・・・」

訪問するたびそうつぶやく80歳の敏子さんは、市営住宅の2階からほとんど外に出られず独り暮らし。心不全で足がパンパンにむくんでもなかなか病院に行かなかったのを訪れた友人が見かねて無理矢理受診させ、ケアマネジャーから病院主治医へと話がいって在宅訪問診療へとつながった。買物はヘルパーさん頼み。家の中は動けるので炊事洗濯はこなしているが、外へ出て少し歩くと息が上がってしまう。

そんな敏子さんが「せんせ、じょぼれー持って帰られぇ・・・」といって1本のワインを差し出してくれたのが3年前。「毎年電話で取り寄せて買うてちょっとずつ飲んどるんよ。ほんとは先生と一緒に飲めたらええけど、そうもいかんから・・・」。折角の厚意を無にしないよう、家で飲みますねとお礼を言ったときの、その嬉しそうな顔といったらなかった。以後毎年秋になると無事1年過ごされたことをボジョレ・ヌーボーで祝っている。

些細なことでも敢えてしてもらって感謝を伝えると本当に喜ばれる。たとえ身体に不自由がなくとも自分が何の役にも立たないという無力感を感じる高齢者は多く、独居だとさらにそれは増幅される。してもらうばかりでなく何かしてあげることを通じて社会とのつながりを持ち、誰かの役に立ちたい、喜んでもらいたいという気持ちが1本のワインになる。独り暮らしの高齢者がそれぞれに役割を持ち、役に立っているという満足感から生き甲斐を持てるような工夫ができないものだろうか。

2014年2月 3日 (月)

生き方の選択

山陽新聞 夕刊に 1月末まで 毎週木曜にコラムを担当していました。
遅ればせながら、ですが 少しずつブログでも紹介しています。
高齢の患者さんで 腎不全が悪化して、いよいよ透析を導入しないといけないかな、と思われ そのように話をすることが時々あります。
そんなとき、それまでに聞いた透析を受けていた他の方の話とか、あるいは自分の考えとかで、受けたくないとはっきり言われる方もあります。そんな患者さんの中の1人の方のエピソードです。
 命が尽きる「その時」までをどう生きるか。
言わば、その時までの「生き方」の選択を自分の意思で決定する・・・
自己決定権の行使・・・というと大袈裟ですが、
要は自分でしたいように決めてその通りにすることで、それはそれで良いのではないかと思います。その意思を尊重し支えることができれば良いのですが、
治療を目的とした入院医療では数々の制約があってなかなか難しいかもしれません。
・・・自己決定に寄り沿う在宅医療だからこそ可能なこともあるのかもしれません。

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82歳の茂さんは長年患った糖尿病からくる慢性腎不全で透析を何度も勧められながらも、透析は受けないと決めていた。腎不全から尿毒症が進行していたが、制約の多かった長い入院生活をやめて覚悟の上で帰ってきた。
念願の自宅に戻ったとき「やっと帰ってきた・・・」といって涙を浮かべていたという。

それからの2週間、茂さんは家族と気ままに家で過ごした。
尿毒症からくる皮膚の痒みと倦怠感の症状を緩和しつつ思い通りに過ごしてもらうことが私にしてあげられることだった。はじめは自宅で点滴もしていたが、尿が出なくなり本人も嫌がったので中止した。
入院中の糖尿病食の制限もやめて家では何でも欲しがる物を食べてもらった。
夜中に作ってもらったインスタントラーメン、近所の人からもらったどら焼き。ホルモンうどんも食べビールも飲んだ。孫がきたとき散髪もしてもらった。時折近所の人達が見舞いに訪れてベッドの横で世間話に花が咲いていた。
次第に衰弱して孫が買ってきた巻き寿司も食べられなくなった。そして家に帰って
2週間経った日の夕方、奥さんがいつものように夕食の準備をしようと腰を上げたところで呼吸が止まった。

人生最期の幕引きを自分で決めて思い通りに過ごした2週間だった。
透析を受けながら節制して長く生きる選択肢もあったが、茂さんは短くとも自由に過ごすことを選んだ。
 最後の時までをどこでどのように過ごすか。それは本人が決めればよいが、たとえ治療に背を向けた選択肢を選んだとしてもその意志を尊重し最後まで寄り添える在宅医療でありたいと思う。

2014年1月26日 (日)

満足の4000円

山陽新聞 夕刊の毎週木曜日にコラムを担当しています。

・・・といっても 1月末で終わりなので、あと30日を残すのみとなりました。

HP上では1ヶ月遅れで少しずつ紹介しています。

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その日訪問すると、孝さんはベッドに寝たままテレビのリモコンで何やら操作していた。肺癌の脊椎転移で寝たきりとなって在宅療養中、奥さんが懸命の介護を続けていた。玄関横に置いてあった自転車は久しぶりに訪れた友達の物であったらしく、ベッド横に座り込んだ友となにやら歓声をあげている。やがて友人は遠慮して自転車で帰っていった。ケーブルテレビの画面はゲームではなく競艇場で水しぶきをあげて走るボートレース中継。楽しそうに画面を操作するのをしばらく一緒に見ながら横から尋ねると、競艇の舟券をインターネットで買ってレースに参戦していたのだという。今では家に居ながらにして舟券を買えるらしい。数日たって孝さんのケアマネジャーから聞いたところ、あの日の競艇で四千円勝って、そのお金を奥さんにあげたことをとても嬉しそうに話してくれたという。

病気となって思い通りに体を動かすという当たり前のことができなくなると、食事や排泄など生存の基本を全て他者に依存することになる。そのとき身体機能の喪失感に苦しむだけでなく、家族など介護者に対して迷惑をかけてすまない、申し訳ないという気持ちを強く持っていることを我々は見落としがちである。

人間いくつになっても何かの役に立っていることに自己の存在意義を感じている。90歳過ぎてなお「生きとっても何の役にも立たん」と口にする。たかだか四千円かもしれないが、孝さんにとっては奥さんの介護の労に報いて自分が役に立った、何かしてあげられた、と満足できた四千円だったに違いない。

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